あらすじ

主君浅野のカタキの吉良の首をとった赤穂藩士の面々は死を待っている。討ち入りの武勇伝に沸く江戸の民、あれこそが忠義の行いマコトの武士と美談に酔う目付奉行大名たちに目もくれず。ただ幕府柳沢が命ずる切腹を待っている。が、将軍も天皇も赤穂に入れあげてしまった。柳沢もおいそれと切腹を言い出せない。薄笑いを浮かべる赤穂の者どもの目に映るのは、なつかしい故郷瀬戸内の海山、ノロノロとしか過ぎぬ今を埋める言葉との戯れが描く光と影、そして我らが死んだ後の世。その目線の先に私たちがいる。序破と続いた忠臣蔵は急で終わらない。完結はよみがえりだ。振り返って手を振って、「ここにいるぞ」と声を返してやって欲しい。

「忠臣蔵」について
元禄14年3月14日、江戸城内、松の廊下にて赤穂藩の藩主 浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が刀を抜き、吉良上野介(きらこうずけのすけ)を切りつけた罪で江戸幕府から切腹を命じられた。浅野の死から1年10か月、赤穂藩の筆頭家老だった大石内蔵助(おおいしくらのすけ)のもとに集った浅野の家臣47名は主君の無念を晴らすため、元禄15年12月14日に吉良邸に討ち入り、見事に吉良を討ち、その首を高く掲げたのだった。忠義を尽くした浅野の家臣たちを江戸中の人々が「義士」と称えるなか、江戸幕府から彼らに切腹が命じられ、元禄16年2月4日、赤穂義士たちはこの世を去った。そして、この「赤穂事件」から、後世まで語り継がれる物語「忠臣蔵」が生まれた。