『HOMOHALAL』作品ノート〈3〉

理解するちから

ドイツにおいて、移民を歓迎するムードから、移民を拒絶するネガティブな方へ向かっていくことに、テロの脅威や仕事を奪われること以外の文化的な要素、つまり、価値観の違いや文化的な違いはあったのだろうか。自身の友人知人の中にレイシストやペギーダに入った人はいない、しかしそれは自身のグループの性質だと思う、とマリーは話す。周囲にいる人々は芸術・演劇に携わる人が多く、みなが似ている意見を持っているそうだ。

2015年から5年経った今、難民の波はまだ終わっていない。現在日本で暮らして3年目になるマリーには、ドイツの今、リアルな雰囲気はわからない。現地にいる家族との会話やニュースを見て情報を得ているそうだ。

たくさんできたことがあるが、できなかったこともあったという人もいる。統合はすぐにできることではなく、毎日やらなければならないことがある。政府だけではなく、子供から年配まで、ひとりひとりが考えなくてはいけない個人の“仕事”になった。なかには自分の仕事を辞めて難民の手伝いだけをする人もいる。

2015、2016年にドイツに来た難民の50%は家と仕事があるけれど、残りの半分はまだ困窮している。たくさんあぶれている人がいる。人の流入が顕著だったときは、バス停の待合室に20人くらい寝ていたのをみたこともあった。それをメディアや大学生たちがビデオで撮っていた。日常生活でほぼ毎日移民の人々と接している。5年間に50%の人々が普通の生活をすることはすごいと思うけれど、まだまだ終わらない。

『HOMOHALAL』が書かれた経緯

作者のイブラヒム・アミールが『ホモハラル』を執筆したきっかけは2012年のオーストリア・ウィーン。2011年の「アラブの春」の影響を受けて中東から地中海を越えてオーストリアへ来た亡命希望者や難民が、不安定な生活を知ってもらうために教会を占領した。シリア出身であるイブラヒムはウィーンの劇場と協働し、ウィーンカトリック教会プロテスタントを訪れ、難民や支援家と演劇ワークショップを2年間行った。『ホモハラル』の初稿はそのワークショップの一環として書かれたものである。

2016年ウィーンで初演が予定されていたが、難民のテーマがどんどん大きくなり、イブラヒムの作品発表の意図や経緯も変わっていった。2015年は上演できるようなポジティブな雰囲気だったが、だんだんと演劇関係者や周囲の人々からも「本当にできるのか?」という空気が漂っていった。難民や移民についての問題に陽陰の波ができ、コントラストができた。ホモハラルの冗談が伝わらないのではないか、レイシスト、ナショナリストなどから意見を受けるのではないか。上演の是非が大いに議論された後、ウィーンでの上演は中止となった。その後、ドイツ・ドレスデンで新たに構想され、2017年にドレスデン州立劇場で初演した経緯がある。

イブラヒムは難民という言葉が嫌いだ。元いた国から逃げる時だけ難民と言われる。2015年、2016年に逃げた人々は、今はもう難民ではない。今はドイツ人として暮らしているということが大切なのだ。『ホモハラル』は、「すべてを理解しあう統合が素晴らしい」と言い切る作品ではない。統合は悪い意味をも持っているというメッセージがある。

話を聞いた創作メンバーからマリーへの質問

[質問]私たちは学校で人権学習の授業があり、学習を通じて、同性愛や外国籍の人、自分とは異なる状況にある人を知る。知らなければ意識しなくて済んだのにと思う人もいるが、直面した時に受け止めるために知っておいたほうがいいと思う。相手を傷つけてしまうこともあるし、知っているほうがいい。ドイツ国内にいて国籍を意識することも、言葉の訛りを指摘することもないと話していたが、なぜ指摘しないようになったのかを知りたい。マリーは子供の頃、どのような教育を受けたか?

[マリー]“違い”について初めて考えたのは6歳の時。先生が隣の席の子に「お母さんがどこから来たか?」と尋ねた時に意識した。ドイツ語とは違う言語を聞いた時にも意識した。自分の母親とも話した。人種・文化的にというわけではなく、その人の髪の色、その人の言語、“個”だと思っていた。親や先生から“違い”を教えられた。また、日本に来てから小さい子について親が「この子は中国人です」と説明したことにとても驚いた。

[質問]マリーがドイツで、色々なルーツの人たちが暮らしている中でお互いを理解するための教育、学校のプログラムはあった? また差別やレイシズムについて学校で意見を交わすこと(ディスカッション)はあった?

[マリー]外国人を好きじゃない家族もいるから、そういう家庭の子はレイシストになると思う。けれども、この人はゲイだとか、何人だとかは言わない。学校でもそういうことは言わない。教育、学校のプログラムについて思い当たることは特になく、前述の「お母さんはどこから来た?」ということだけ。何かのプログラムで勉強したというより、周囲との話で理解した。ルーツの話ではないが、ベルリンでホームレスの人を見てはいけないと大人から言われたことがあったが、いまはそれがおかしいと思える。

中学時代のクラスにはアラブ、ポーランド、ロシア出身の子がいた。クラスの中には文化と言語を混ぜた雰囲気があった。日本に来てから初めて「ドイツっぽいね」と言われたが、現地では服装や言語が異なることは当たり前で、“◯◯っぽい”と感じることはなかった。

あと、ディスカッションはいつでもします。

2021年1月6日、リモート稽古にて

(編集:岸本、米沢)

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