『HOMOHALAL』作品ノート〈2〉

Montagscafe 月曜のカフェ

2011年、アラビア語圏諸国おける革命運動「アラブの春」が起こり、内乱やクーデターにより、他国からドイツへの入国が急激に増え始める。2015年、トルコを通過しドイツにたくさんの難民がやって来た。ドイツの支援ボランティアは、自分のお金を使って提供するための食料や衣服を購入し難民を手助けした。当時は1日に6900人の人々が96本の電車に乗ってやって来たそうだ。仕事を休んで移民を迎えたボランティアの人々は、一日中彼らの亡命を祝福した。「一緒に頑張りましょう」というとてもポジティブな雰囲気だったという。

移民流入を受けて開催されるようになったのが「Montagscafe(モンタークスカフェ)」だ。毎週月曜日に行われ、難民とドイツ人の交流の場として作られた。演劇、文化交流(言語学習や料理)、フェスティバルなどを行い、異文化交流を図っている。この「Montagscafe」はドイツ・ドレスデンにある劇場のプログラムとして始まり、ドイツ全土へとこのような運動が広まった。ドイツの劇場・演劇シーンは、上演に限らず社会的な問題を解決するためのプログラムが多く存在する。「Montagscafe」が始まる以前にも多くのプロジェクトが開催され、文化理解・統合の土壌がすでに存在した。(「Montagscafe」は現在も続けられており、コロナ禍以降はオンラインカフェとなっている)

新しい人々がやってくることでドイツ人も変わらなければならないという意識が芽生え、文化交流が頻繁に行われるようになった。

しかし、喜びや祝福に包まれたメダルの“裏側”が必ずしも美しいとは限らない。

メダルの裏側/大晦日の夜

2015年12月31日、ドイツ・ケルンである事件が起こった。「Silvesternacht(ジルベスターナハト)」、大晦日に起こった集団性暴行事件だ。

ハンブルクほか北ドイツ地域、ケルン中央駅とケルン大聖堂前広場などにおけるアラブ人・北アフリカ人を主体とした女性に対する集団強盗・性的暴行事件である。約千人の加害者が数百人のドイツ人女性を暴行した。これまでドイツではこのような規模の大きな事件が起こったことはなかった。大晦日の夜、新年を祝うために年が明けた瞬間に花火が上がる。その花火の打ち上げを見物するために、広場に多くの人が集まり、新しい年を祝福する。その日はだれもが、事件なんて起こるはずがないと思うおだやかな普通の日であった。祝福の日に、暴力と乱闘、レイプが起こってしまった。

難民たちは、ドイツに来た当初は国から住居などの提供があり、安心感があって、なんとかなると思っていた。この先うまくいくと言う期待があった。ワクワクしていた。しかしそれは、考えていたような簡単な話ではなかった。他国での生活、難民たちはフラストレーションを抱え、発散したい気持ちが攻撃的な方向へ向かってしまったように感じた。悪いことをしたかったわけじゃない。周りから見ていると、なぜ戦争のようになってしまったのかがわからなかった。フラストレーションとアルコールのある状況、新年を祝うパーティーをしたい、喧嘩をしたいと思う人々が偶然集まり、その重なりが事件を大きくしてしまったのかもしれない。

この暴動で難民に対してネガティブな印象がすぐに生まれたわけではなかった。2016年にはまだ難民に対してポジティブな人もいた。難民のことを守りたい人はまだいたし、ドイツのルールを知らないから行動してしまっただけだ、という人もいた。けれど、この夜からドイツの人々の難民に対する認識は変化したと思う。もともと、すべての人々が難民のことを受け入れていたわけではなかった。そこには2014年から始まった「ペギーダ」の存在があった。

“テロを嫌う”ということ

「ペギーダ(PEGIDA)」とはドイツの政治団体で、2014年にデモ行動から始まった団体だ。西欧のイスラム化に反対する欧州愛国者の集まりで、差別的な意見から発足されたが、外国人を嫌っているわけではなく、テロを嫌ってできた団体である。

明確な差別的意図をもって参加している人もいたが、2015年以降、難民たちによるテロや暴動を心配する人の加入が増えた。メンバーはゲスト労働者だった人が多い。2016年、ペギーダは毎週のようにデモをしていた。デモだけではなく難民に提供された住居に火をつけたこともあり、行動はエスカレートしていた。難民たちはもちろん恐れた。難民とドイツ人に緊張が生まれた。

マリーが2016年に住んでいた場所では、地下鉄で暴行事件があったそうだ。ドイツ人から難民への加害、難民からドイツ人への加害。毎週そんなニュースが流れ、地下鉄に乗るのが怖かったという。家から出ない人が増えたという。

このような事象は決して難民だけのせいではない。しかし、難民受け入れの流れの中で、ISによるテロの脅威がヨーロッパに入って来たこともドイツに住む人々の心に不安の影を落とした。難民たちはパスポートを持っていないため、誰がどこから来たかよくわからなかったのだ。当時ドイツの人々は移民個人の話を大切にしていたが、ISがそれを利用し、テロの計画を作った。そのためドイツ国内で不安や心配の声が増え、難民には来て欲しくないという人が増えた。このことがペギーダへ加入する人々を増やしたことは想像できる。

だが、テロの脅威を恐れたにせよ、2015年以前に移民としてやって来た、いわば同じ立場のゲスト労働者の多くがペギーダに在籍していたことは疑問である。同じ立場だからこその不安が、そのような行動をとらせたのではないか、とマリーはいう。2、30年前にドイツにやって来た人々は、すごく頑張って子どもを学校に入れることができている。新たな人がやって来た時、自分たちが脅かされると感じて拒絶した。ドイツにはすでに外国人や他国にルーツがある人が多く、二世代より以前はどこから来たのかはわからない。肌の色など見た目だけで判断することは難しい。単に人種やテロを嫌うという理由だけではない。ペギーダに在籍する人々は、自分の仕事、子供の未来を守ろうとしているのだと思う。

作品ノート〈3〉へ続く

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