『HOMOHALAL』作品ノート〈1〉

今作の出演者のひとりである、ドイツ・ベルリン出まれのマリー・ハーネから、作品に登場する移民流入当時の状況や、彼女がドイツ在住時に経験したこと、幼少期のこと、そしてドイツの歴史と現状について話を聞いた。

ドイツの移民問題を語る時、重要な項目がある。

Gastarbeiter(ガストアルバイター)ゲスト労働者、その国の国籍を持たない出稼ぎ労働者

Montagscafe(モンタークスカフェ)月曜のカフェ、文化理解・統合のプログラム

Silvesternacht(ジルベスターナハト)集団暴行事件があった大晦日の夜

多様性の街

マリーは、現在のベルリンを多様性の街だと感じている。彼女には幼少の頃ベトナムやパレスチナの友人がいた。友人たちは移民の二世だが、自らをドイツ人だと名乗っている。日本では国籍について「どこから来たの?」などと尋ねることがあるが、ドイツではそれを問うことはない。国籍を尋ねることは失礼に感じるという。それは移民が入ってくる以前からの礼儀だった。

ヨーロッパの人々は顔も似ているし統合の歴史が長く、たくさんの人が他国からやってきたため、その人がどこから来たのかは分からない。現在ドイツには190カ国の人々が住み、250の宗教があるそうだ。

ドイツの統合の歴史

ドイツへの移民流入の流れを大まかに追ってみると、19世紀のユダヤ系の人々の流入、1917年のロシア十月革命と1975年以降のベトナム戦争による難民の亡命などが挙げられる。戦争と革命により様々な国の生まれ・文化を持つ人々がドイツへとやってきた。

ドイツのゲスト労働者の歴史が始まったのは1950年以降だ。仕事の為にドイツに来た人々は、イタリア、スペイン、ユーゴスラビア、チュニジア、ベトナムなどで、他にも複数の国からドイツへやってきた。1973 年のオイルショックを機にゲスト労働者の募集は停止された。契約終了に伴い祖国へ帰ることが推奨されたが、帰国せずにドイツに残る他国の人々が増え、家族をドイツへ呼び寄せて定住の道を選んだものが急増した。

そして1976年、ドイツ政府は外国人労働者を「移民」と認め、法律を整備し、統合のための方法を模索した、しかし1982 年に政権が変わるとともに方針が転換され、ゲスト労働者は再び帰国を促される。また、この頃からゲスト労働者に対する過酷な労働環境や、差別問題が広く知られるようになる。

国のアイデンティティ

異なる文化の人々がドイツにたくさん集まり、ドイツのアイデンティティは変容する。これまで緩やかに移民流入を受け入れてきたドイツだが、アメリカ同時多発テロでドイツ人の認識は変わったと思う、とマリーはいう。難民や移民として来る人は皆が皆良い人ではないということだ。外国人労働者に対するビザの発行が難しくなる一方、移民の流れが止むことはない。

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