2003年4月に初演の『夜、ナク、鳥』を書いた大竹野正典は、2019年7月に海の事故で帰らぬ人となった。
だが大竹野が亡くなるまでに書き下ろした多くの上演台本は、どの作品からも生めかしい体温を感じるほどに今まさに力強く生きたままの台詞が綴られている。それら上演作品の多くは内容も非常に衝撃的で、痛烈に観劇者の心に刻まれる事になる。
ごく一般的な家庭に生まれ不自由なく普通に育った大竹野正典が青年期に最も興味を持ったのは映画であり、高校時代には映画研究部に在籍し、卒業後は横浜放送映画専門学院シナリオ科に進学する。順当に映画製作の道を歩めば、高名な映画監督か映像作家になっていたかも知れない。だが在学中に同棲して子供を身籠もり、結婚して卒業は果たしたものの妻と子を養うために働く生活が始まる事になる。
志半ばで好きな映画製作の進路を諦めねばならない無念の思いは燻り続け、表現手段を映像から演劇に移して舞台作品の発表を続けるようになる。演劇は就業後の時間に稽古が可能で、土日を絡めて公演日を定めれば、撮影に天候や時間を制限される映像よりも無理なく表現が可能で、最も自分に相応しい表現手段として多くの舞台作品の上演を続ける。次第にその才能は頭角を現して様々な演劇賞を受賞、一般にも実力を認知されるようになる。しかし、演劇を生業に身を立てる考えや演劇を第二の仕事に二足の草鞋を履く気は全くなく、自分にとって演劇は無くてはならない表現だが、演劇を続けるために毎月の定収入は必要不可欠なものと考え、普通に仕事を続けながら一般人の目で社会を見ることが大切で、その目線を常に持ち続けないと自分が作りたい演劇では無くなると語っていた。家庭(家族)と仕事は、大竹野が表現を続けるための礎であり基盤であった。その基盤から逸脱すると、自分の求める表現が変容することを大竹野は解っていたのだろう。
だが映画を学ぶ希望溢れる学生が突然家族と家庭を持つことにならなければ、好きな映画の道を諦めずに望む職種に就くことも出来たかも知れない。家族を養うために大阪に戻り定職に就いた大竹野に、もちろん家族を愛する気持ちに偽りがあるはずもないが、それとは裏腹に家庭を憎む気持ちがどこかに芽生えたのかも知れない。仕事を辞めて本格的に演劇に集中したくても、定収入の望めない職種では必要な生活費を満足に稼げる保証もなく、基盤を壊しては文字通りの台無しになるのは絶対に避けねばならない。大竹野は身動きの取れない状況の中、相反する真逆の感情を常に持ちながら、アンバランスな日常を少なからず送っていたのでは無かろうか。その状況は大竹野が描いた作品の中に、一貫したテーマとして表されることになる。
大竹野の初期から中期の作品は、家族や家庭に恵まれずに成長した物語の主人公が、理想と現実の狭間でもがき苦しみながら、社会から阻害され自暴自棄になり、最も愚かしい行動を選択して、ついには最悪の結末を迎える筋書きが多くの作品に当て嵌まる。そのテーマは初期の段階から実在の事件をモチーフに描かれ、中期にはより事件そのものを丹念に深く掘り下げた作品を描き続ける。
不幸にも家族を巻き添えにした残酷で凄惨な事件が世間を騒がせた時、大竹野は何故そのような事件が起きたのかと興味を抱き、犯人の家庭環境や事件に至る経緯を調べる過程で、自分が同様の場面で抱いてしまう犯人に近しい感情や、幾つもの選択肢から犯人が選んでしまった最悪のシナリオが、他人事でなく自分自身が感じる思いと選ぶであろう行動に他ならず、その鬱屈したドロドロとした感情を解き放つための唯一の手段が、演劇による表現であったのではなかろうか。実際に起こった事件を題材にした作品を上演した時に、演劇が無かったら自分も同じような事件を起こしたかも知れないと、何度か大竹野から聞いた事がある。演劇はある種の代替行為であり、人として踏み越えてはならない一線を越えた行動を作品として発表することで、同様の行動を体験する仮想現実を作り出すこともできる。
どうしようも無いほど高揚して荒ぶる感情をどうにかして鎮めるためには、同じ方向性と熱量を発散する表現を作品として世に出して、自分の中に凝り固まった鬱屈した感情を外に吐き出す必要があり、大竹野にとって演劇は必要不可欠な表現となっていく。20余年を費やして執拗に同一テーマを描き続けたほとんどの大竹野作品に、大竹野自身の投影を見ることができる。
しかし始めて女性を主人公に描かれた本作『夜、ナク、鳥』から、大竹野作品は大きく変容して行くのである。
(2)本作の解説と、作品の変遷 に続く
塚本修(ツカモト オサム) プロフィール
stage staff/CQ 代表
舞台監督・劇場管理・演劇アドバイザー
ウイングフィールド主催ウイングカップ審査員
大阪高校演劇祭HPF 講評サポーター
大竹野正典没後十年記念公演プロデューサー
受賞歴
1994年 スペースゼロ特別賞 (スペースゼロ 主催)
1997年 第二回飛田演劇賞 最優秀人気者賞(関西野外演劇連絡協議会 主催)
2006年 第十一回飛田演劇賞最優秀舞台監督賞 (関西野外演劇連絡協議会 主催)
2008年 Blog 『舞監@日誌』 マイ・フェイバリット・ブログ(シリアス部門) 選出(小劇場
演劇支援サイト fringe)
2020年 第17 回上方の舞台裏方大賞( 同実行委員会主催)
同賞に附随して、大阪府知事賞 、大阪市長賞 、後援会理事賞