『夜、ナク、鳥』に寄せて(2)「本作の解説と、作品の変遷」(ぼつじゅうP/塚本 修)

本作『夜、ナク、鳥』以前に大竹野が描いた舞台作品は、家族愛と家庭憎悪を併せ持つ男が葛藤や自己矛盾を引金に起こした事件や、主人公の身の周りで起きた出来事を題材に描かれた作品がほとんどで、本作は大竹野が初めて女性を主人公に実際に起きた事件を題材に書き下ろした作品である。これまでの作品に共通するテーマの家族愛と家庭憎悪の共存と葛藤はこれまでのように強くは描かれず、明らかに今までの作品と異質な存在感があった。そこで描かれるのは、時に自ら望みもしない最悪の選択をしてしまう人の愚かしさ、己れの間違いを知りながら抗うことの出来ない人の弱さ、いとも容易く状況に流されてしまう人の持つ悲しさ、窮地に立たされた人間の愚かで弱くて悲しい人の性を痛々しいまでに炙り出している。また登場人物が持つ家族愛と家族憎悪の微妙な共存が、悪意のある言葉により容易く崩れる様子を見事に描き出しており、大竹野作品のテーマが微妙に変化する兆しが感じられる。

大竹野は自分自身の投影を男性が主人公の作品に描き、幸福を確認しようのない実際の家族や家庭を捨てて、幸福を実感できる理想の家族と家庭を探し求めた末に、自己のバランスを崩して取り返しの着かない事件に至らしめる不幸な男の顛末を演劇で表現する事で、自分自身の家族と家庭が幸福の存在であることを確認して来たのではなかろうか。家族であることの幸福を根底から否定する女性が主犯の痛ましい事件を題材に描いた2作品『夜、ナク、鳥』と『海のホタル』はこれまでの作品とは表裏一体の関係で、対極に位置する作品を提示することにより、幸福な家庭を探し求めるのでは無く、幸福の象徴である家族を消し去ることで、初めて知り得る喪失感を表出させ、それを自分が体験して確認するための儀式的な作品とも捉えられる。

本作を描いた翌年2004年2月に、大竹野自らが最も上手く描けたと自負する事件モノの集大成と言える『密会』をほぼ全編を改訂して発表、2005年12月に女の事件簿2作目『海のホタル』で配偶者と実子の家族2人を劇中で死なせて以降は、事件を題材に舞台作品を描くことは無くなり、2006年10月に『怪シイ来客簿』を上演すると急速に演劇に対する情熱が衰えたのか、次回作は2008年12月の遺作『山の声』まで2年以上のブランクを空けた。自分にとって演劇は、真っ当に世の中で生きるための表現ゆえ、演劇を辞めると変調を来たして良からぬ事件を犯しかねないと語っていた大竹野が、舞台から2年以上も離れた事実には、自身が内存する相反する2つの感情、家族愛と家庭憎悪が共存以上の新たな関係を築き始め、一つの大きな感情に統合された変化があったように思う。

相反する2つの感情は、大竹野が演劇を続ける原動力そのものであった。しかし家族愛と家庭憎悪は、家族と家庭を肯定する感情と否定する感情に他ならず、元は一つの家族を思う大きな意思が2つに別れて反発し合う感情になったものと考えられる。

表現活動を休止した2年間、大竹野は毎週末に必ず山へ通うようになり、次第に家族で山登りに明け暮れるようになると、もはや山登りは家族にとって生活の一部になっていく。

2008年12月、ようやく公開された大竹野正典の新作は、やはり山に登る男が家族を語る話であった。

しかしそこには家庭を憎み家族から逃げる男の姿は一切描かれておらず、家族を愛し家庭に戻ることを最後まで夢見て語る登山者の一途な思いが綴られている。遺作『山の声』の最後の台詞に、冬山登山の最中に猛吹雪に遭って遭難死した主人公の魂が、家族の待つ我家に帰り着いたところで語られる一言に、これまでの大竹野作品全てが要約されている。

「ただいまー、悪いが少し眠らせてくれ、、、」

大竹野の長い旅は終わり、ようやく家族の待つ帰るべき場所に辿り着いたことを皆に知らせるには、充分な一言である。

「ただいま」と告げて、大竹野は自分の家に帰り着いた。もう家族愛と家庭憎悪の狭間で葛藤することも無い。自身の代弁に演劇をすることも無い。山登りも演劇も、家に帰るために歩く帰路そのものだった。。

帰るべき場所へ辿り着いたのから、大竹野正典は自らの幕を降ろしたのだと、今は素直に思える。

何の悔いも未練もなく、埒もなく汚れなく、伝えたかったのは「ただいま」の一言で、それが彼にとって最も重要で大切な一言に思う。そのために「さよなら」も告げず別れたのだから。

今日もまた大竹野が遺した作品の上演が行われる。私たちはこれからも何回でも大竹野作品を通して大竹野正典に逢うだろう。

作品を上演する度に「ただいま」と大竹野が来るだろう。その時は「おかえり」と出迎える。「ただいま」に返すのは「おかえり」が最も良い。今も昔も、劇場も舞台も、私たち皆の棲家なのだから。

塚本修(ツカモト オサム) プロフィール
stage staff/CQ 代表
舞台監督・劇場管理・演劇アドバイザー
ウイングフィールド主催ウイングカップ審査員
大阪高校演劇祭HPF 講評サポーター
大竹野正典没後十年記念公演プロデューサー

受賞歴
1994年 スペースゼロ特別賞 (スペースゼロ 主催)
1997年 第二回飛田演劇賞 最優秀人気者賞(関西野外演劇連絡協議会 主催)
2006年 第十一回飛田演劇賞最優秀舞台監督賞 (関西野外演劇連絡協議会 主催)
2008年 Blog 『舞監@日誌』 マイ・フェイバリット・ブログ(シリアス部門) 選出(小劇場
演劇支援サイト fringe)
2020年 第17 回上方の舞台裏方大賞( 同実行委員会主催)
    同賞に附随して、大阪府知事賞 、大阪市長賞 、後援会理事賞

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