2020年5月の緊急事態宣言下で誕生した「仮想劇場」。
このエイチエムピー・シアターカンパニーが取り組む「仮想劇場」とは、Zoomシステムを利用し、出演者がそれぞれ自宅で演技する映像を、リアルタイムでひとつの画面内に合成し、同じ空間にいるように見せてライブ配信するオンライン演劇のことである。
初回は今回と同じく大竹野正典をとり上げ、1973年に起きた、部下が上司をバットで撲殺した事件が題材の『ブカブカジョーシブカジョーシ』を上演しました。
まだ新型コロナウイルス感染拡大の終息の兆しが見えない中、コロナ時代の新しい演劇表現の可能性を探る試みとして、再び、仮想劇場に取り組むエイチエムピー・シアターカンパニー。
取り組む中で見えてきた、オンラインに対する考え方や、演技やからだの変化について伺いました。
インタビュー・編集:岡田蕗子・前田瑠佳
― 今日、この座談会にご参加いただいている中で、エイチエムピー・シアターカンパニー(以下、HMP)のオンライン演劇に去年関わったことがある方が、3名、そして今回初めての方が4名ですね。森田さんは去年から関わっておられますが、仮想劇場ではどのように演技されてますか?
森田:相手役の立ち位置などによって、計算して自分の立ち位置や身体の角度や形などを決めています。最初は画面を見るのが大事になってくるんです。画面を見ることでしか確認ができないから。だけど繰り返し繰り返しやって画面を見てなくてもこの人がここにいるというような想定で自分の立ち位置や身体の角度や形などを決める。実際の演劇だとその時によって、相手がちょっと動くとか、相手の目線が動いたからこっちが動くみたいなことがあるんだけど、仮想劇場では演技を決めちゃうので、実際の演劇で起きるようなその時の相手の状態に反応してつくるということはやりにくいかもしれないです。
― そうですよね。想像で補うのも限度がありますよね。
森田:私はそんな感じです。あとは、今回、稽古して思ったのは、ある程度期間を決めてセリフを録音したんですけど、クリアな声を録音することに重点を置いて、距離を一緒にするとか、雑音が入らないようにするとか、そういうことをかなり要求され、つくったんです。でも、実際、動いてみると立ったり座ったりするだけで、声って変わるんですよね。当然。身体が変われば声が変わるのは当然のことで、それは今までの私たちの演劇の作り方では積み重ねて作ってきてた。でも仮想劇場では、音声に関してOKテイクをつくり、その音声に身体を合わせていくっていうのにまだ慣れないですね。
― なるほど。今回、はじめて参加した、春海さんはいかがですか?そもそもZoom演劇ははじめてですか?
春海:はじめてです。Zoomでリーディングというのはやったりしたんですけど、今回みたいに画面を合わせてということは本当にはじめてです。すごく新しいというか、めちゃくちゃ大きな声ではいえませんけど、戸惑いもありましたけど(笑)。
僕は水谷さんと絡むシーンが多いんですけど、やっぱり現実に戻されるというか、僕の芝居しているスペースにはどこを探しても水谷さんはいなくて。最近、ようやく薄っすら見えてきた気もしないこともないですけども(笑)。
だから特に画面に背を向けると途端に不安になる。(位置が)ここやったよなと思って、でも今日はちょっと位置が違うかもなとか思ったり。演技しながらそういうことは考えてしまう。後ろ振り返って画面を見たいけれど、それはダメなので、そういうことを考えながらやっていますね。
― 同じく初めて仮想劇場に参加される西本さんはいかがですか?
西本:『ブカブカジョーシブカジョーシ』を拝見したこともあり、割と念頭から仮想劇場はこういうものだという認識がありました。演劇だけど、僕たちが通常時にやっている演劇とは前提が違うし、取り組み方も演出方法も何もかも違うし、チャレンジしてみようと思いました。
演劇をしてる人って僕もそうなんですけど、基本的には生身であったりとか、ライブが楽しくてやっている人間が多いと思うんです。僕は森田さんと絡むシーンがほとんどなので、森田さんと稽古してるんですけど、Zoomを通したものであってもリアルタイムにやってると僕の中では通常の演劇の稽古と違和感はなかったんです。森田さんはこの場にいないけど、声は聞こえるし、僕がした芝居に対して森田さんがリアルタイムで返してくれるから。録音された音声かもしれないけれど、息遣いだったり、ニュアンスはその時で変わってくる。生の人間が目の前にはいないけどいる。だからあんまりオンラインであっても違和感がないですね。
森田:身体を持っている、肉体を持っているっていうことは究極だなと思いますね。コミュニケーションが言語だけじゃないんだってことを、去年、会えないということで知ったわけじゃない?
私たちは肉体を持っているってことが苦脳なんだなって思うんですよ。そうみると、ヱヴァンゲリオンを思い出すんです、私。ヱヴァンゲリオンの人類補完計画は、「魂と肉体を解放して全人類の進化と意識の統合を目指す」という目的があるんです。元ネタは聖書から取っているらしいんですけどね。
今、私は肉体を持って生きてるし、肉体を持つことを良しと思っているけれども、仮想劇場そのものはやはりそこに通じる気がして。肉体を持っているっていうことをどう捉えるのか、どう認識するのかっていう感じがしています。仮想劇場をやっていると身体とは?って考えますね。
― 水谷さんは、1年前から仮想劇場に参加していますが、何か変化はありますか?例えばオンラインの稽古場に来るというのはどんな感じなのでしょうか。
水谷:お稽古するっていうことに関しては同じ感じだと思いますね。このZoomを稽古場って1年前に位置付けて呼び出してから、稽古に行ってくるからって言って自分の部屋に行くっていう感じです(笑)。
電車には乗らないけれど、自宅のあの部屋が稽古場って感じで、稽古場に行く。そこにはリアルに人はいないんですけどね。
― なるほど。去年と比べて、仮想劇場に取り組むことに関して何か変化はありましたか?
水谷:去年は、本当に会えない状況の中ではじまったので、画面の中でも会えるってことがかなり最重要なことでした。とにかく会えることに嬉しさを感じ、何ができるんだろうっていうところからはじめて、アイデアを持ち寄って、実験していく感じで。会うというのと同時に新しいわくわく感っていうのがありました。
今回は、配信の面白さをどう伝えるかっていうのがあります。でも、はじめて参加する人たちは、去年私たちが味わったことを味わってると思うんです。2年目の人が思っていることと今回はじめての人が思っていることをうまくミックスさせていけたらいいのかなと。
― 身体的にはどうでしょうか?
水谷:稽古場に行くと同じ空気が流れているでしょう?稽古で出番がなければ、話しかけに行くとか、そういう気遣いが会っていたらできるけれども、Zoomだと細かいコミュニケーションが難しくなる。声だけで聞いていたり、触れられないと、相手の息遣いや空気、テンションがわからないとなると、普段、会って何か言われるより、言葉自体が心なく聞こえる気がして、役者っていうか、関わってるプレーヤーの精神的ダメージはすごく大きいのかなって私は感じます。
そこに気を付けて発言したり、聞いたりしないといけないっていうのがすごく負担だと思うし、発言だけじゃなくて、これどうですか?って聞いたときに、反応がなかったら、発言が悪かったかなって思ったり。個々にヤダなって思うことが積もっていくと、それが稽古の進みにも影響してくるなと。やっぱりこの画面上で、相手にどういうふうに伝えたら嫌な思いをしないだろうかとか、そういうことを考えないといけないから体力というよりも頭とか精神をものすごく使わないといけないなって思います。
― たしかに。オンライン上では、一言発するだけでもとても気を遣いますよね。
水谷:オンラインで作品を作ってるときに画面がみれないとか位置取りが難しいとかあるんだけども、稽古場で直接会ってても一緒のことだと思うんですね。色んな気遣いをしないといけないから。だから色んなことに気遣いするっていうのは、技術は違うかもしれないけど一緒かなって思う。でも今年一番感じるのは、精神的負担はめちゃくちゃ多いなって思います。
― 今回、大熊さんも初めての参加になりますが、いかがでしょうか。
大熊:今一緒にいる感覚ってすごい大事なんだなって思っていて、その感覚を何で得れるのかっていうのをずっと探しているような気がします。Zoomという形であっても、録音っていう状態であったとしても、今一緒にやってるよねって、そのライブの感覚をレーダー張って探し続けてるんですが、自分がこれだよねっていうフィットするライブに出会えない時は一番辛いんだなって思います。
私はオンラインのワークショップとかもやったりしてるんですけど、そこでは身体的なコミュニケーションはできないから、言葉のコミュニケーションになるんです。でも、仮想劇場は、声は録音なので、言葉のライブのコミュニケーションはなく、録音に身体を当てていくっていうことになる。それは果たして、本当に私はライブ感を持ってやっていたのだろうか、やっているのだろうかということは常に問うてますね。
西本:大熊さんの演技って、すごくしっくりきてるように僕は思うんです。仮想劇場に関していうと、大熊さんは、オーバーリアクションしてるみたいな感じでやってるんですか。
大熊:見え方ばっかりを考えてるかもしれないです。画面でどう見えてるかとか、表情の変化をわかってもらえるかとか。実際、対面でお芝居していると、相手の息遣いや目線とかを受け取って、自然に返していくものっていうのがあったりするけれど、やっぱりそれとは違って。音は決められた音であるし、動きも仮想劇場の絵の特性として動きのニュアンスが伝わったり、伝わりきらなかったりというのがある。自分がちゃんと対面してるように見えるのかなとか、大きさとかあってるのかなとか、そういうことばかり考えちゃっていますね。セリフを言ってる時の気持ちも1回置いておこうってなります。なんだったらタイムラグ考えて早めにリアクションしてるし、それって演技なん?みたいな感じです。
― たしかに。全然違う技術がいりますね。
大熊:お客さんに違和感なく見てもらうために私たちがそれを調整してるみたいな感じの感覚ではあるなぁと。それはそれで面白みはあります。
ただ、試行錯誤を繰り返していき、それを再生していくことが演劇なんだと思うのですけど、私にとっては、再生をするためにはフレッシュが必要なんです。たくさんステージがあればあるほど、毎日のフレッシュがすごく大事だなっていうのを感じます。フレッシュというのが、相手の息づかいだったり、お客さんの違いだったり。
― オンラインではそのフレッシュがないままなんでしょうか。
大熊:めっちゃお客さんがいるってことは大事やと試演会で思いました。見てる人がいるっていうところにフレッシュさがあるなって感じましたね。
― なるほど。野々下さんも初めての参加ですが、いかがでしょうか。
野々下:僕は演劇のようなものをもう一個手に入れたみたいな感じです。オンラインの画面上に演劇の完成系のようなものがある、演技のようなことをする、会話のようなことをする、リアルタイムのような感じで、相手のようなものと演劇のようなもの作るみたいな。新たな演劇の楽しさを手に入れた感じです。演劇のようなものを作るのは、昔から結構好きだったので、仮想劇場というのが、演劇の枠を拡げるのか、もっと極めていって演劇のようなものに名前がついていくのかというのを、 HMPとの創作の中でやっているって感じですね。稽古場ではよくシーンやレイヤーっていう言葉が出てきて、一個一個、固めていく作り方をしてるんですが、それが新鮮だなって。通常の演劇の稽古であれば、いつでも今までのを全部なくして、新しくしようみたいなのがよくあるんですが、楽しい反面、疲弊もするんです。でも仮想劇場での稽古は、その土台がなくならない楽しさっていうのがあり、すごく楽しいなーって感じがしてます。新たな身体感覚を手に入れた感じです。
大熊さんも言ってましたが、僕は画面上でどう見えてるかをみていて、徹底的にイケてる感じを作ろうとして楽しんでます(笑)。画面を見ながら、今、上手いな~と思いながら。通常の稽古だと、今、いいなという確認ができないですよね。感覚だけが残っていて、その感覚を信じてやる。でも仮想劇場だと、同時にビジュアルまで見れてしまう。大熊さんも言ってましたが、その分、感覚は薄いですね。見た目の感じで良いとか悪いとかを自分で判断しながらやっている。心動いてないけど見た感じがいいとかっていうのがよくありますね。
森田:通常の舞台でも、俳優が感情乗り切って邁進している演技は、観客はドン引きするやん。俳優はどちらかというと役に感情移入しすぎないように気を付けるんですよね。感情は持つんだけど、そこに陥らないようにするわけですよ。
― なるほど。仮想劇場だと、気持ちと演技が勝手に切り離されてるとはいえるかもしれないですね。またもしかしたら、仮想劇場では、完璧に形が整ってるほうが、見ている方にはダイレクトに役の感情が伝わるかもしれませんね。
最後に髙安さんにお伺いしていいですか。髙安さんは去年も参加されてますが、去年との変化はありますが。
髙安:私は寝室から参加しているんですが、去年は床に自分の足の幅で測ったグリッドを全部書いていたんですよ。自分がどこの位置にいるか、正確に全部やってやろうと思って。どう見えてるか、かなり明確にやってました。2年目になった今回は、セッションするっていうことをもう少し大事にしてみようかなって思い、グリッドは書かずにやるようになりました。目印となるように点だけは書いてますけど。ただ、それがまだうまくいってるかどうかわからないです。やっぱりグリッドを書いたほうがいいのかなとか考えていますが。今回、相手役の大熊さんや飯沼さんが、なぜか目の前にいるように思うようになってきたです。
春海:すごい
森田:おぉ
髙安:多分、脳が現実と虚構を合わせるように補正しだしたんだと思ってるんです。ここに大熊さんがいるわって感じる瞬間がある。はじめにポジションだけ決めるんですよ、大熊さんはここ、私はここって。稽古場はちゃんと画面を見てやっていたんですけど、本番は確認しないで演じるから、なぜかそこにぼんやりと見えるような気がしてきた。想像力で補ってるってことやけど、それってセッションするっていうことなんだと思ったんです。だけど、ズレますよね。音声と身体とにズレが生じるし、相手役とも一瞬ズレる。このズレをやるのが仮想劇場なのかしらと思って、ちょっとやってみようかなと思っています。
― 髙安さんの妄想相手が出来上がるって凄いですね。髙安さんは大熊さんとは会ったことがあるから、大熊さんがどういう背格好かというのがわかると思うんですけど、もう1人の相手役である飯沼さんとは会ったことないじゃないですか。それでもその場にいるように感じる、妄想で作られるってことですよね?
髙安:飯沼さんが180cmぐらいあるっていうのは、野々下さんから聞いて相当驚きましたけど(笑)。実際の身長はわからないけれど、大柄そうな人が今ここにいるって感じるっていうことですね。私の相手役である飯沼さんが、そこにいるってイメージできることで、急にエモーショナルに気持ちが動き出す。
― 大熊さんのように一緒に演劇をやったことがある人とやる時と会ったことがない飯沼さんとやるときと、そこに違いはありますか?
髙安:違いはないですね。
森田:違いがないっていうのは髙安さんの世界の中に住人としているっていう感じですか?
髙安:住人というかこの画面の中にいるって感じです。
森田:でも画面の中って、髙安さんの脳内に作られてるわけでしょ?180cmの物体としてはリアルにその場にはいないわけじゃない?
笠井:今の話題は非常に面白いから、脳科学者にお願いして、脳を検査するものをみんなの頭につけて、脳波がどう出ているのかをみると面白いかも。髙安さんは、妄想するタイプではないと思うんですよ。ひょっとしたら、髙安さんの視覚を操る脳の部分が、動いている可能性があるかもしれないですね。
大変興味深いのは、視覚刺激と聴覚刺激を同時に受けると人間って錯覚が生じやすいんだよね。テレビとか錯覚するのはそうなんだけど。こういうのは50年前から言われていて、それをいかして今、仮想劇場をやっているんだけど、そもそも演劇自体は虚構を扱っているから、逆に一つの想像だったり、錯覚だったり、妄想だったりを促すためのジャンルなんだよね、演劇って。そのジャンルで、その技術を使っているって二重に面白いなって。
髙安:仮想劇場をやりだして、ある時ふと気づいたんです。自分自身でも驚きました。
笠井:考えないといけないのは、通信っていうのは、視覚情報と聴覚情報だけなんですよね。だから実際会ったら、匂いだけじゃなくて雰囲気とか、その人と過去にあった思い出とか、色々想起させる。ひょっとしたらその人を認識するというのは、視覚情報と聴覚情報はパーセンテージにしたら明らかになっていないだけでかなり低いかもしれない。仮想劇場っていうのは限られた情報の中で作品をつくっているっていうのがかなり面白いんだけど、視覚情報と聴覚情報を中心とした人間になったら現代の概念でいえば、人間性が崩壊しているっていってもいいぐらいですよね。本当にこれだけで演劇っていったなら、そうなるかもしれないし、でもわかんないよね。
僕たちは何万年もかけて体力を失ってるわけですよね、かといって、脳が大きくなっているわけではない。失うことだけしかしてないんですよ、何千年、何万年かけて。だからどんどん身体を失っていくかもしれないね、脳もだんだん小さくなっていって。最後は人類補完計画を目指して。
森田:そうやねん。ほんまそうやねん。人類補完計画やねん(笑)
(7月2日 稽古終わりにオンラインにて実施)